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はてなIPO 当然の初値売りで大正解

ビジネス マネー 考え方

はてな株、宣言通りの初値売りしました。

画面はSMBC日興証券。1日持ち越したので2回注文を出す必要があったのが面倒ではありました。

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初値は3,025円。というわけで約22万円の儲け。
高値3,255円を見て、もう2万円取れたんじゃないか? と思うかもしれませんが、それはまさに素人考えです。出来高を見れば実際に高値で売れた人はそんなにいないことが分かります。「頭と尻尾はくれてやれ」くらいの感覚で良いのです。

終値は 2,700円也。

それにしても、まさかここまで上がるとは。これは人気があるとか魅力的とかって話ではなくて規模の小さいIPOではよくあることです。だからこそ、「上場直後に株買っちゃだめ」と言い続けていました。

 

lestructure.hatenablog.com

 

株価ですが、これから余程の隠し玉でもない限り、しばらく右肩下がりでしょう。3,000円はおろか2,000円でも高すぎ。1,000円なら、まあ、といったところですが、私なら800円でも買いません。

もちろん今後の成長次第ですので、後で3,000円でも安かったと思われるくらい成長して欲しいものです。(そこまで成長する確率は、それこそIPO抽選に当たるくらいの確率でしょうけど)

 

一連のブコメとブログ記事で一人でも上場直後の高値掴み被害を防げたのなら嬉しいのですが。

 

はてなIPO当選した私から株初心者に伝えたいこと

ビジネス マネー 考え方

経緯

はてな上場のニュースに当たっていくつかブコメ書いてました。はてなIPOについてはSMBC日興証券(主幹事)の抽選に申し込んでまして、当選の結果が出ました。

この機に改めて「上場直後に株買っちゃだめ」と言っておこうと思ってブログを書きます。特に、はてな大好きな人たちに向けて、です。これが届いて損をする人が少しでも減ればと。

私は上場直後に売ります(初値売り)。これが一番利益が出ると考えているからです。逆に上場直後に買うと損する確率が高いのです。分かってて買う分には何時、何の株を買おうが自由ではあるのですが、あまり分かってない人、初心者が損するのをみすみす黙って見ていられません。

 

以前書いたブコメです。

東京証券取引所マザーズ市場への新規上場承認に関するお知らせ - プレスリリース - 株式会社はてな

上場直後に株買っちゃだめだよ。規模が小さく需要さばけないからとんでもない初値ついてその後ダダ下り。事業内容関係なくそうなるものなんだよ。IPOの値動き調べれば分かる。

2016/01/21 19:35

 

はてなブックマーク - 東京証券取引所マザーズ市場への新規上場承認に関するお知らせ - プレスリリース - 株式会社はてな

株買うとかぬかしている連中は黙って買え。無知な層が影響されて株買って損したら補填する気概があるなら構わない。直近IPO事例ではてなに一番近いGunosyの上場来チャート見てそれでも買うというならご自由に。

2016/01/22 07:57

はてなIPO当選

画像貼ります。この程度の画像いくらでもいじれるでしょうし、そもそもこの画面見たことある人ほとんどいないと思いますので本当かどうか判断つかないかもしれませんが。

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早速、購入申し込みしました。

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上場直後の株を買うと損

もちろん絶対ではありませんが、かなり高い確率で損します。

Gunosyの例

「直近IPO事例ではてなに一番近いGunosy」には当然異論もあるでしょう。野村證券がらみの上場ゴール銘柄?と一緒にするのはちょっと酷いかもしれませんが、事業内容、規模的には近いことは確かです。

Gunosyの上場来チャートです。

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どのIPOも似たような値動きになります。上場直後に高値をつけて、時間とともに妥当な株価まで落ちていきます。このような事実を示す調査結果がいくつも公開されています。

なお、私の見立てではGunosyの場合はそもそもの公募価格が高すぎでした。はてなの場合、公募価格自体は妥当ですし上場の目的も理解できます。上場自体に問題があるとは感じられません。しかし、それでも上場直後に高値をつけて下がることになるでしょう。

www.nikkei.com

絶対儲かる投資はない

IPOの株価が下がることが確実なら上場直後に売れば儲かるんじゃないか?と考えるじゃないですか。実際その通りです。普通に考えて絶対に儲かる投資なんてないはずですが、これはかなり「絶対」に近い戦略です。ところが、上場直後の銘柄は空売りができないんですよ。結局、絶対儲かる投資はないのです。

それでも買いたい人に

ブコメなどで、はてな株買う宣言をしている人がいました。それらの理由別にコメントします。

応援したい、ご祝儀を出したい

長年はてなのサービスを利用してきたユーザーとして、応援するご祝儀を出したいという気持ちは分かります。しかし、市場で株を買ってもご祝儀にはなりません。それならはてなの有料サービスにお金を払ってはいかがでしょうか。

株主になりたい、株主総会に参加したい

上場直後に買って権利確定日まで保有するのはリスクが高いのでお勧めしません。どうしても株主としての権利を獲得したいのであれば権利確定日の直前に買って、すぐに売るようにすれば損失が限定されますので、その方法も考えてみてください。もちろん1日の保有でも暴落に会うことはあります。

今後の成長により株価が上がると予想する

上場直後からずっと右肩上がりに株価が上がる可能性も、もちろん0ではありません。それなりの投資家が根拠を持って株を買うというなら、他人が口出しすべきものではないでしょう。それなりの投資家ならIPOの株価推移など承知の上でしょうし。

ただ、ブコメで「株買うとかぬかしている連中は黙って買え」と書いた通りで、わざわざ買う宣言をしたり他人を誘わないで欲しい。株式投資についてよく分かってない初心者が影響される可能性を考えましょう。もちろん自己責任の世界ですが、他人を巻き込む必要があるのでしょうか。さらに現在の株式市場は異常事態と言えるほど不安定で高リスクでもあります。

最後に

くり返しになりますが、私は株式会社はてな事業が駄目だとか、公募価格が高いとか言っているのではありません。この点、Gunosy等とは違います。例え事業が良くて公募価格が妥当であっても上場直後に高値をつけて右肩下がりになるケースが多いという事実を知っておいて欲しいのです。

この点を補強するために今回私自身が当選したことと初値売りをするという宣言をしました。決して自慢のためではありません、と言いたいところですが、当選が嬉しいのは確かです。

 

* 以下、後日談

lestructure.hatenablog.com

 

「愛しているから結婚したい」に感じた違和感

恋愛・結婚 考え方

今週のお題「結婚を決めた理由」

 

「愛しているから結婚したい」というのは、論理的に成立しないのではないか。

この疑問を整理するために、久々にブログを書いてみる。

 

anond.hatelabo.jp

 

これは、わかる。

節税は、結婚の具体的なメリットの代表的なものだろう。

 

ところで、愛とは何か?

私のためなのか、あなたのためなのか。

自分がどうであれ、あなたを幸せにしたいというのが愛ではないか。

 

ずっと一緒にいたい 

 

この気持ちは分かるが、ずっと一緒にいて幸せになるのは「私だ」。

もちろん、ずっと一緒にいることで「あなた」も幸せになるかもしれないが、それは「わたし」が判断することではない。

 

「あなたはわたしとずっと一緒にいると幸せになる」の合意を前提として、 

「わたしはあなたを愛している」から「わたしはあなたを幸せにしたい」ときに、

「私とあなたとずっと一緒にいよう」となるのではないか。

しかしながら、結婚しなくても「ずっと一緒にいる」ことは可能である。

 

結婚は「あなた」に法的拘束力のある一定の義務を課すことにもなる。

これは「あなた」の自由を奪うものであって、不幸せになっていると考えられる。

 

「あなた」が結婚すること自体がある種の目的となっており、それによって幸福感を得られるとしたらどうか。これは、ありそうな気がする。

 

と、ここまで書いて、「ずっと一緒にいる」ことと「結婚」それぞれから得られる幸福は、依存関係がなく独立したものだということが理解できた。

もちろん結婚した上でずっと一緒に暮らすという相乗効果による、付加的な幸福というのはあり得るだろう。

 

「あなた」が、結婚(あるいは結婚式を含む一連の儀式)を目的としていたり、結婚による節税など具体的なメリットで幸せになり、なおかつ、その幸福が結婚で不自由になる不幸を上回るとき、
「ずっと一緒にいる」ことで幸せにならず、むしろ不幸になる、
ならば、「一緒にいない結婚」という選択肢があり得ることになる。

 

このような理解の上でようやく「愛しているから結婚したい」の倫理的な意味が理解出来る。

しかし、普通は、このような理解を前提として共有はしていない。

つまり、「愛しているから結婚したい」は、論理の飛躍が過ぎる。

 

これまでの理解を元に再検討してみて、しっくりくるプロポーズの言葉を例示してみると、

 

「わたしはあなたを幸せにしたい。

あなたはわたしと結婚すると(プラマイで)幸せになると思われます。

だから、わたしはあなたと結婚したい。あなたさえよければ結婚しましょう」

 

という感じになるだろう。丁寧に論理展開がなされており、意味は分かるようになった。

意味は分かるが、「わたしの幸福」を持ち出さない点など、お為ごかしというか欺瞞めいたものを感じて、なんだか、経営コンサルの押しかけ営業のような気もしてしまう。

 

論理展開によっては、「愛している」を「あなたを幸せにしたい」ではなく、「わたしが幸せになりたい」として、つまり「わたしはあなたと結婚すると節税などの利得で幸福になるからあなたと結婚したい」となる。

 

これも意味は分かる。しかし、利己的に過ぎやしないか。

 

最初の疑問に戻ると、「愛しているから結婚したい」は、論理的には合理性があることが理解できた。

しかし、そこには、「論理の飛躍」と「欺瞞」または「利己主義」を感じる。

これが最初に感じた違和感の正体のようだ。

 

ということは、どちらか一方だけの利得(欺瞞または利己主義)によらない結婚、つまり、お互いに利得があるから結婚しましょう、ということなら違和感を感じないのではないか。

 

当然、お互いが幸せになる結婚に違和感があろうはずはない。

 

何も双方が結婚から直接の利得を得なくても、一方が他方の損失を金銭などで補填することによっても合意が成立するわけだ。

実際、借金対策や国籍取得を目的とした結婚の「販売」の事例が存在する。

うん。確かに違和感は感じない。

 

ところで、私が結婚に至った経緯はというと、まず、ともかく、「ずっと一緒にいたかった」。正確に言うと「いつまでも一緒にいたい」わけではなく「今の気持ちとして四六時中一緒に痛かった」のだった。

そして、それは相手も同じであることが確認できたので、一緒に暮らすことにした。

この時、節税など制度的な利得は考えていなかった。

 

一緒に暮らした上で、結婚による制度的利得に考えが及んだ時、「結婚しよう」となったのであった。

 

「一緒にいる幸福」と「結婚で得られる制度的利得」の両方を得るために、「一緒に暮らす結婚」を選択したということだ。

 

今後はどうか。

憲法解釈も変われば、法律も変わる。法律が変われば、制度的利得も変わる。

二人が「いつまでも」一緒にいて幸せであるという保証はない。

お互いに婚姻による利得がなく(むしろ損失が大きく)、一緒にいて幸福でない(むしろ不幸)ならば、離婚して別々に暮らすという合意に至ることになるだろう。

 

論理を紐解いてみたら、まあ、そりゃそうだ、という話でした。

 

「子ども産まないのが問題」は失言なのか?

社会 考え方

id:sin20xx さんへ

 

id:lestructure氏へのご返事 - 何気ない記録

 

見ました。

やはり、あなたは嘘を言っていると認識せざるを得ません。

 

「子ども産まないのが問題」は失言なのか?

goo辞書「デジタル大辞泉」より失言とは、

言うべきではないことを、うっかり言ってしまうこと。また、その言葉。

 

また、YOMIURI ONLINEより、

麻生副総理・財務相は(略)「時間に追われて少々(言葉を)省き、誤解を招いた。時間をかけて説明すべきだった」と語り、表現が不十分だったと認めた。

 

「子どもを産まないのが問題だ」と言うべきではないことを、うっかり言ってしまったわけですから失言です。
主観の問題ではなく本人が認めているわけです。

 

なので、

結局、受け手の解釈の問題でしかないですよ?って僕はいっているわけで

 

それはあなたの解釈であって、事実として万人が納得する基準としては失言なのです。

 

という事実を踏まえた上で本題です。

 

「どの応援演説も失言だらけ」は偽

「この内容で失言とするならもはやどの応援演説も失言だらけでメディアが一日中報じても足りないぐらいの状況になる」のか?

 

なりません。

 

例えば、こちら、

Yahoo!ニュース - <衆議院選>公明党・山口那津男代表の第一声【全文書き起こし】 (THE PAGE)

 

最大限意地悪な目で見てもどこにも失言が見当たりません。
できるものなら失言を探してみてください。

 

「どの応援演説も失言だらけ」は偽です。
「メディアが一日中報じても足りないぐらいの状況になる」こともありません。

 

ということで「嘘を言っている」という認識です。

 

問題発言か否か

おまけ。

 

額面通りに受け取れば論理的に解釈して問題発言ということになるでしょう。

何しろ氏は「子どもを産まないのが問題」と言っているわけです。「問題」だと。
子どもを産まないことを絶対的な問題とする根拠は?そんなもの主観でしかない。

 

であるならば、子どもを産まないことは問題ではないとする立場から主観的に見たときに「子ども産まないのが問題」というのは問題発言になる。

 

繰り返しになりますが、
「子どもを産まないのが問題」とする立場の人には問題発言ではないということになるでしょうし、
「子どもを産まないのは問題ではない」という立場の人からは問題発言ということになる。


子どもを産まないのが問題かどうか憲法なりで明文化されたような国民のコンセンサスがないわけで、これは主観の話です。
それを「問題だ」と断定したわけですから、それは客観的論理的には問題発言です。

 

いやいや額面通り「子どもを産まないのが問題」と思っていない、うっかり言ってしまっただけだ、というなら、あ、なーんだ、失言ですね、という話でしょう。

 

つまり論理的には、失言でなければ問題発言だし、問題発言でないとするなら失言です。

 

今回は本人が「誤解を招いた」と言っているわけですから、問題発言ではなく失言、というところに落ちることになりますね。

 

メディアはこれを報じるべきであったか

私としては特にニュースバリューがあるとは思いませんが、それを決めるのはメディア自身であり読者でしょう。

 

それは次元が低すぎてその事の方が問題 

 

それはあなたの主観に過ぎません。

そのようなコンセンサスはありません。

 

新聞社は単にひとつの営利企業に過ぎません。

これは我々日本国民のコンセンサスであるところの資本主義に基づく株式会社であることから明白です。

違法行為などがない限り好きにすれば良い。

 

映画 寄生獣 の感想

エンタメ

映画 寄生獣を見た。

前回、アニメの方の感想を書いて以来のブログ。

 

結論から言うと、「佳作」と思う。
ちょっと気になっている、くらいの人なら見るべき。見て損はないと言える。
完結編が楽しみだ。

 

寄生獣/ミギーリアルサイズぬいぐるみ

寄生獣/ミギーリアルサイズぬいぐるみ

 

 

以下、ネタバレを含む(でもできるだけ避けながら)感想。

 

良かったところ

ストーリーの密度

原作をそのまま映画の尺でやろうと思ったらとてもじゃないが不可能だ。
そこで、どうしてもストーリーを切り貼りすることになるのだが、うまく圧縮したものだと思う。
それでいて案外に破綻がない。これは大変に感心した。

漫画のペースでやったら冗長で間が空くところをテンポ良く見せている。
もちろん原作は日常的なシーンを丁寧に描くことによって非日常感が際立つ
のだけど、映画では日常がほとんど描かれずに主人公の人生は後戻りできない
異常状態に突っ込んでしまう。
これは映画としての満足度的には良い塩梅だと思った。

 

もちろん所々で突っ込もうと思えば突っ込める場面はあるが、展開が早いので気にならない。
もちろん突っ込むのが好きな人は心の中で突っ込みながら見ると良いだろう。
わざわざ金を払って観るのは快楽を得るためであって、どのような見方で快楽を得るのかは人それぞれだ。

 

設定の改変がいくつか見られたが、不自然なところはなく、良い改変が多かったように感じる。
例えば田宮良子が数学でなく化学教師となっている点などは、ストーリー上、分かりやすい。

 

安易なお涙頂戴がなかった

終盤、主人公がもっともつらい境遇に陥る場面がある。

これは普通に考えたら泣き所であって、安易な造りなら泣かせにかかるだろうし、まあ、そうするんだろうなと予想してたんだけど、これが全然そうなってなかった。
主人公自身も泣かないのだが、同じく見ているこちらも泣けない。泣きを強要されない。

あまり安易な造りをしていない所には好感が持てた。
(安易な演出がないということはない)

 

自然な演出

アニメの感想でも書いたが原作は不自然な描写が多い。
その点ではアニメより以上に自然だと感じた。

例えばおっぱい鷲づかみの表現はアニメと同じなのだけど、その後のムラノの対応は映画の方が自然だ。
これは、まあ、メディアの特性の違い、ターゲット層の違いだろう。
全体に、アニメより映画の方がより大人をターゲットにしていると思う。

 

剣道と弓道の件

これは良かった。
ミギー(とシンイチ)が部活動を見学して、接近戦と遠距離戦のやり方を学ぶシーン。
シンイチが美術部であることの紹介に繋がるとともに、後のシーンに効いてくる。

名シーンであるシンイチの狙撃シーンは、原作では「石のピッチング」が、映画では異なっている。
再現して欲しかった気もするが、あれはあれで良かった。
(ただし鉄パイプを切り取る描写は頂けない)

原作の島田はサッカーが上手く、これが女子からの高評価につながる。
いっそ東出昌大には剣道でもカッコ良いところを見せてもらって女子ウケしつつ、
これは接近戦でチャンバラやると分が悪いなという感じがっても良かったかもしれない、と思った。

 

キャストが良い

皆演技がうまい。
また、全員、原作と人物造形が違う。
原作の人物とは違う別人なのだけれども、それはそれとして成立している。

安易にアイドルを使ったりするという手もあったのだろうけど主演の染谷将太は確かにうまいね。
例えば藤原竜也の演技は例えば舞台で見れば良いのだろうけど映画で見ると違和感がすごい。
その点、染谷は映画で見て良い塩梅の誇張/自然さだと思った。

また、橋本愛はまったくムラノではないけれども。これは良いキャスティングだ。
演技もうまいし非常に高校生らしい。(年齢的に当然か)
ストーリー的には置物みたいなもんだけど十分に存在感がある。
今、一番好きな若手女優になったかもしれない。

 

阿部サダヲのミギーはアリ

前のブログで

いくらなんでも、阿部サダヲはないよねえ

と書いておいてなんだけれども。

アニメのミギーがたどたどしい喋り方なのに比べて、映画のミギーは早口で流暢だ。
しかし、理にかなっている。
感情の有無はおいておいて日本語に抑揚があるのは当然だし、ミギーは一晩で
日本語をマスターするのだから流暢で当然だ。
ただし、全く可愛くない。

早口のおじさん(映画のミギー)とたどたどしい幼い女の子(アニメのミギー)の落差が凄い。
私自身のミギーの声のイメージはその間にある。
どちらを評価するかはターゲットをどこに置くか、ということになるのだろう。

アニメ、映画とも成立はしているが理にかなっているのは映画の方だ。
また、映画のミギーの方が1個の人格としてしっかりとした感触がある。
まあ、そりゃそうだ。だって右手に阿部サダヲが宿っている、という状態だもん。
そんなの可愛いわけがない。

 

悪い?点

悪い、ととるかはともかく幾つか指摘しておく。

岩明均感が全くない

原作のテイストは全くない。全くの別物。
これはこれで良いと思う。
岩明均感が欲しい人はヒストリエを読んでください。

寄生生物の造形

割合に感情が豊かな原作とは違う生物。
映画だけ見た人は、そういうものだ、と思うことでしょう。

 

田宮良子の違和感

田宮良子は、影の主役なのだけれども全体的に違和感が大きい。

深津絵里は美人ではあるけど、さすがに、高齢出産だなあ、というのが気になったら、そこからさらに、あれくらいお腹が大きくなってきたら、もう少し胸が膨らんでも良いよなあ、とか色々と考えてしまった。

ちなみに自分がセックスしてみるならAじゃなくて東出昌大を選ぶよなあ、とか。
まあ、40代の高校教師と10代の高校生だとさすがにあれではあるけど。

「地球上の誰かがふと思った云々」のセリフも頂けない。

 

「母さんに助けられた」件

死してなお子を守る母、という話は昔からよくある話だけど、
あれは、さすがにちょっとついていけない。
別の演出があったのではないかと思う。
生前の母が偶然にも編んでくれていた鎖帷子が身を助けてくれた、とか。

 

その他

広川が田宮はさん付けなのに草野、後藤は呼び捨てにする
後藤がステーキを食べた後に吐き出すアレ

なんかが気になったかな、、、が、ほとんど最後のシーンだな、これ。
前半にも気になったシーンがあったがあんまり覚えてないかもしれない。
まあ、そこまで気になってしょうがない、というところはない。

 

まとめ

私はリアルタイムでコミック全巻を揃えて何度も読み直した者だが、これは全くの別物であり原作読者も十分楽しめるものであると思う。

アニメは続けて見る気にはなれなかったが、映画はお金を出しても続編を見る価値がありそうだと思った。(何度もリピートしようとまでは思わないが)

 

「非の打ち所のない作品」ということもないし「大衆受けする大ヒット」ということにもならないだろうけど「下手なアイドルが出てきてぶち壊し」ということもなく「金返せ」という駄作ではない。染谷、橋本といった若手の黒歴史でもなく代表作とまでは行かないまでも確実にステップアップには繋がっているといったところ。まあ、「佳作」でしょう。

アニメ 寄生獣 1話の感想など

エンタメ ビジネス

原作は言うまでもなく、漫画誌に残る傑作。

傑作であるポイントは様々あるが、「日常と非日常」だろう。

 

新装版 寄生獣(1) (KCデラックス アフタヌーン)

新装版 寄生獣(1) (KCデラックス アフタヌーン)

 

 

アニメの特徴は「分かりやすい演出」だと思った。
以下その辺について。(ネタバレ?あり)

 

肉アニメーションで説明するミギー

ミギーがシンイチに語りかける際、その自由に変形できる特性を生かして、実際に説明する対象に変形しながら説明する。
これは、原作本でも見られたが、アニメーションであるため、非常に分かりやすい。

 

かわいすぎるミギー

本来、ミギーは、感情がなく冷静で、非常に高い知能を持っているし、微妙に人間的な造形が不気味の谷そのもので気持ち悪い。
普通に考えるとかわいくないんだけど、でも何故かどこかしら、かわいく感じてしまう。

 

で、アニメの声がどう聞いても幼い女の子なんだよね。
そして、しゃべり方は、極度にたどたどしい。
これは、ミギーの動きとも相まってすなおに可愛らしい印象を受ける。

 

例えば、ミギーは渋い男性がやっても成立するんだけど、それだと「かわいさ」までが遠い。それでも、いつかはかわいさに到達する。

いきなりかわいい声、というのは、噛んでればいつか甘くなるご飯に、最初から砂糖かけちゃえ的な感じだ。

 

幼さやたどたどしさ、抑揚のなさは1話だからで、そのうち大人っぽくスムーズになるのかもしれない。

 

ヘタレすぎるシンイチ

メガネなんだよね。ヘタレの記号としての。
で、自称が「僕」。

 

覚醒後にメガネを外して「俺」と自称するんだろう。
原作よりも覚醒前後を大きく振っている。

 

1話の中でも、クモが苦手だったのに平気になるという変化を見せる。
原作だとゴキブリの件なんだけど、あれは確かに不自然なんだよね。
アニメ版は、不自然な描写を自然にする、ということをやっている。

 

原作読者はシンイチの微妙な変化を感じ取った。
アニメ版視聴者に対しては、メガネ等の小道具を使わないと伝わらないだろうと判断したということ。
微妙な変化を表現する技量がない、というより受け手のレベルに合わせた、と見るべきだろう。

 

キチガイ丸出しの浦上

原作では、裏に潜む狂気が逆に恐ろしさを感じさせる浦上。
アニメの浦上はキチガイ丸出しである。
これもアニメ視聴者層が「裏に潜む狂気」を受け取れないという判断か。
あるいは、浦上は人間扱いしないで見てね、ということかもしれない。

 

自然な描写

原作の1話とかって、落ち着いてみると演出というかシンイチの右手の非人間性?が過剰で、それバレるよねえ、という感じがする。
受けるかどうかも分からない状態の新連載だからだし、新連載であるからこそ気にならない。

 

アニメ版の1話では、不自然な右手の動きを他人に見られることはなく、ミギーの存在が間違ってもバレないようになっている。
原作にない、ムラノのおっぱいわしづかみとか行動としては異常ではあるけど動作としては異常ではない。

あとムラノが「塚原卜伝」を言わない。

まあ、今時の女の子がそんなこと言わんわな。

チョークなげの改変とかも同じ。チョークなげそのものがポカーンかもしれないが。

 

女の子達の人物像の再構成

おっぱいわしづかみにビンタで返すというのは原作のムラノならしない。

原作の「女の子達」と深夜アニメ視聴者層が期待する「女の子達」が違うんでしょうねえ。
そこで、それに合わせて人物像を再構成した、という理解をした。

 

さて、あの、おっぱいわしづかみ演出はアニメ視聴者の心をわしづかみのしたのだろうか。(ドヤ顔)

 

全体的に

寄生獣のポイントは「日常と非日常」で、寄生生物の存在をのぞけば、それ以外は普通の世界である。


その意味で、原作から不自然な所を除いて、自然な描写に変えている所の意図は理解できる。
よく作ってあるな、と感心した。

 

ところが、やはり記号的な「車にひかれそうな子どもを助ける」シーン。
ミギーが車を止めるんだけど、物理的に有り得ない。
これは気にならない人はならないかもしれないけど。

 

せっかくそれをやるなら、車を止めるのはやり過ぎだろうし、ミギーにその動機がない。
それと、父親が息子のおでこを指ツンする描写も不自然じゃない?
もしかして、今どきの高校生くらいの父子って、それが普通なの?だったらごめん。

 

ミギーの声なんだけど、成立はしていると思う。
でも、幼く、たどたどしいのも1話だからとしても抑揚がなさ過ぎない?
感情がないことを表現しているのかもしれないが、抑揚と感情は必ずしも一致しない。不自然で過剰な演出と思う。

 

全体的に、不自然な描写を自然にするというのは良いし、あるいは不自然でも分かりやすさを重視するというなら分かるが、もっと徹底した方が良かったのかなという気はした。

 

スマホなんて原作にはない要素なので自然にも不自然にもなり得るんだけど、どう使うんでしょうね。

 

2話以降を見たいか

うーん。原作の世界観を越えられるわけはないから、そういう意味では見てもしょうがないかな。

見る理由があるとすれば、ミギーの声がかわいいのと、わしづかみ的なシーンへの興味だけかなあ。

あれ、そういう意味ではアニメの演出は大成功なのかもしれない。

 

映画版について

関係ないけど。

いくらなんでも、阿部サダヲはないよねえ。
実際に見て、いやサダヲありだぞ!となったら世紀の名優だろうけど。

 

アニメの視聴者層に合わせた演出から映画版を予想すると、

  • お、そこで原作にない言わなくても分かる人には分かるはずのことをセリフで言わせちゃうんだ
  • あ、ここが泣き所ですよ、ってことでスローにしたりそういう音楽流したりするんだ

的な演出があるんでしょうね。きっと。

 

発明のリスクとコストは誰が負担する?

所謂青色LED訴訟について、何で今更、またそこからの議論なの、という言説を見かけるようになった。

時間の問題とも言われていたノーベル賞が現実のものとなったこのタイミングなのでホットになるのは当然とも言える。

 

もちろん、発明そのものと裁判の意義は大きいけど、騒動の結論というか教訓は、

 

「お互いのために契約を事前に明確にしようぜ」

 

以上でも以下でもない。

その意味で、報酬規定義務付けについては基本的には良い方向である。

 

 

青色LED訴訟

404特許 - Wikipedia


から引用する。

404特許について、特許を受ける権利の原告への原始的帰属の確認、及びそれが認められない場合は譲渡の相当対価を求めて、中村は日亜化学工業を相手に訴訟を起こした

裁判所が和解勧告を出し、2005年1月に原告被告とも受け入れて訴訟が終了。結果的に控訴審で判決が出ることはなかった

和解金は404特許も含めた原告の関わった全職務発明に対して約6億円(実際は延滞損害金も加えた約8億円)

と、ここまでが客観的事実である。

 

特許権の帰属については、会社のものとの結論である。
貢献度については色々な考え方があろうが、職務発明であり譲渡契約が行われているのであるから当然であり、この点についてどこからも異論はないだろう。

 

貢献への対価

結局の所、貢献への対価がどれほどなのか、というのがポイントである。

発明者と会社それぞれの主張には金額として大きな開きがあったが、結果的に、その中間となった。
そもそも開きがあるから裁判になるのだし、個人、法人が自己の権利を最大限あるいは過大に主張するのは当然であろう。

 

誰が悪いのか

発明者に対して過少な対価しか支払わない会社は悪い、ということはできるだろう。
また、過大な対価を要求する発明者も悪い、ということもできる。

あるいは、権利主張は当然のことであり悪くない、ということもできる。

 

しかしながら、裁判に至る事体になれば発明者も会社も双方ともに無駄な時間と費用を使ってしまう。

これは単純に損失だ。(社会全体としては判例ができてありがたいが)

 

理想の発明システム

では、どうすれば誰も悪くなく、損しないのか。

簡単な裏返しで、過大でも過少でもない妥当な額の対価が支払われれば良い。

 

裁判所相当の第三者機関が都度算出するということが考えられる。しかし、第三者に情報提供する必要がある等の余計なコストがかかる。当事者間で合意すれば余計なコストはかからない。

 

つまり、結論は簡単である。

当事者間で事前に納得できる内容で契約すれば良い。

 

対価の一括支払い制度

実際、特にこの係争の影響が大きかったと思うが、多くの組織が対価の一括支払い制度を導入した。

私自身、この制度以前の発明について後で譲渡契約の内容を変更した経験がある。

特許の帰属、対価の議論は、もう、ほとんど終わった話ってこと。

 

組織に所属して職務としての発明をしている以上、組織に都合良く作られた規約に従うのは当然である。
発明者としては、その発明がどれほどの利益を生み出すのかを事前に算出することはなかなかに難しい。難しいので一括支払いを選択して、まあまあの対価を確実にもらうということも合理的だ。

 

それでは割り合わない、と思えば契約を拒否すれば良い。

しかし、もし発明が出願されなければ発明者も組織も損だ。対価の金額は、どこかで妥結するだろう。

 

一方、組織で給与をもらいながら良い発明ができたらやめれば良いという「うまい話」は難しい。職務上知り得た会社の機密情報を用いない範囲での出願となるからだ。

 

発明者が対価を最大限得るには

やはり組織に所属せずゼロから発明をするしかない。その経費や生活費は自分で用意することになる。

あるいは、「お金だけ出すけど発明はあなたのものだよ」というパトロンを見つけるしない。

 

奇特なお金持ちはともかく、営利企業にとっては給与も一時金も投資に過ぎない。
割に合うと思えば投資するし、そうでなければ投資しない。
社内で発明を推進することが割に合わなければ発明などしない、という会社があって良い。

 

しかし、製造業など技術系の会社なら大抵特許を取得する。
それは、割に合うからだ。
従業員に過大な対価を払わなくて済んでいるということだ。

 

従業員が過大な権利を持つと制度が破綻する

仮に、過大な対価を払え、ということが法制化されたらどうなるか。
営利企業はマイナスの投資はしない。
同時に、個人にとっては状況は変わらない。
必然的に発明は激減し、誰も得しない社会となる。

 

社会主義より資本主義

国家が全面的に発明者のバックアップをするようにしてはどうか。
社会主義だね。支持する人がいても良いけど私は支持しない。

 

発明の価値は市場が決めれば良い。
つまり会社が儲かったり、駄目なら潰れれば良い。
個人は潰さない方が良い。潰れるリスクを負わないなら過大な対価はもらうべきでない。

 

市場の原理にさらされることで発明への投資と効果が最適化されるだろう。
私は個人や国家の判断より市場を信じる。
市場は歪んではいるが長い目で見れば概ね正しい。

 

特許は会社に帰属するのが良い

会社全体でリスクを負担して権利化しているのだから。
そして何より全体として、その方が効率が良い。社会全体のためになる。

 

そのためにも、あるいはそうでなくても、事前に納得して契約しておき、後に禍根を残さないことだ。

 

コストとリスクは誰が負担するか

それでも、いや会社や国家がコストとリスクを負担して、個人に大きな権利を持たせるべきだ、という人はいるのだろう。
原資はどうするの?と聞いてみたいところだ。

 

現に日亜は儲かっているじゃないか、そこから出すだけだろう、というのは結果論に過ぎない。
駄目だったら損失は会社、うまくいったら個人のもの、そんな都合の良い錬金術は有りえない。

 

リターンとコストは結局誰かが負担しなければならない。
そんなもの国民に負担させとけば良いんだよ、という人がいるかもしれない。
いないと信じたいが、そんな人が本当にいるなら社会の敵としか言いようがない。

 

市場に任せろ

もちろん、発明によって創出される社会的価値はある。
それが発明の原資になるということで良い。
それを効率的に実現できるのは誰なのか?

 

国家か? 

いや、国家には効率化のインセンティブがない。

 

個人か?

いや、個人に過大なリスクを負わせるべきでない。

 

会社か?

いや、会社レベルの単位では効率化は十分にできない。

 

市場が担うべきだ。

その受け皿としての会社であり、会社に個人が所属して大きなリスクを回避して思う存分発明すれば良い。

国家の役割は、その維持と構成の実現と、何より余計なことをしないことだ。