「愛しているから結婚したい」に感じた違和感

今週のお題「結婚を決めた理由」

 

「愛しているから結婚したい」というのは、論理的に成立しないのではないか。

この疑問を整理するために、久々にブログを書いてみる。

 

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これは、わかる。

節税は、結婚の具体的なメリットの代表的なものだろう。

 

ところで、愛とは何か?

私のためなのか、あなたのためなのか。

自分がどうであれ、あなたを幸せにしたいというのが愛ではないか。

 

ずっと一緒にいたい 

 

この気持ちは分かるが、ずっと一緒にいて幸せになるのは「私だ」。

もちろん、ずっと一緒にいることで「あなた」も幸せになるかもしれないが、それは「わたし」が判断することではない。

 

「あなたはわたしとずっと一緒にいると幸せになる」の合意を前提として、 

「わたしはあなたを愛している」から「わたしはあなたを幸せにしたい」ときに、

「私とあなたとずっと一緒にいよう」となるのではないか。

しかしながら、結婚しなくても「ずっと一緒にいる」ことは可能である。

 

結婚は「あなた」に法的拘束力のある一定の義務を課すことにもなる。

これは「あなた」の自由を奪うものであって、不幸せになっていると考えられる。

 

「あなた」が結婚すること自体がある種の目的となっており、それによって幸福感を得られるとしたらどうか。これは、ありそうな気がする。

 

と、ここまで書いて、「ずっと一緒にいる」ことと「結婚」それぞれから得られる幸福は、依存関係がなく独立したものだということが理解できた。

もちろん結婚した上でずっと一緒に暮らすという相乗効果による、付加的な幸福というのはあり得るだろう。

 

「あなた」が、結婚(あるいは結婚式を含む一連の儀式)を目的としていたり、結婚による節税など具体的なメリットで幸せになり、なおかつ、その幸福が結婚で不自由になる不幸を上回るとき、
「ずっと一緒にいる」ことで幸せにならず、むしろ不幸になる、
ならば、「一緒にいない結婚」という選択肢があり得ることになる。

 

このような理解の上でようやく「愛しているから結婚したい」の倫理的な意味が理解出来る。

しかし、普通は、このような理解を前提として共有はしていない。

つまり、「愛しているから結婚したい」は、論理の飛躍が過ぎる。

 

これまでの理解を元に再検討してみて、しっくりくるプロポーズの言葉を例示してみると、

 

「わたしはあなたを幸せにしたい。

あなたはわたしと結婚すると(プラマイで)幸せになると思われます。

だから、わたしはあなたと結婚したい。あなたさえよければ結婚しましょう」

 

という感じになるだろう。丁寧に論理展開がなされており、意味は分かるようになった。

意味は分かるが、「わたしの幸福」を持ち出さない点など、お為ごかしというか欺瞞めいたものを感じて、なんだか、経営コンサルの押しかけ営業のような気もしてしまう。

 

論理展開によっては、「愛している」を「あなたを幸せにしたい」ではなく、「わたしが幸せになりたい」として、つまり「わたしはあなたと結婚すると節税などの利得で幸福になるからあなたと結婚したい」となる。

 

これも意味は分かる。しかし、利己的に過ぎやしないか。

 

最初の疑問に戻ると、「愛しているから結婚したい」は、論理的には合理性があることが理解できた。

しかし、そこには、「論理の飛躍」と「欺瞞」または「利己主義」を感じる。

これが最初に感じた違和感の正体のようだ。

 

ということは、どちらか一方だけの利得(欺瞞または利己主義)によらない結婚、つまり、お互いに利得があるから結婚しましょう、ということなら違和感を感じないのではないか。

 

当然、お互いが幸せになる結婚に違和感があろうはずはない。

 

何も双方が結婚から直接の利得を得なくても、一方が他方の損失を金銭などで補填することによっても合意が成立するわけだ。

実際、借金対策や国籍取得を目的とした結婚の「販売」の事例が存在する。

うん。確かに違和感は感じない。

 

ところで、私が結婚に至った経緯はというと、まず、ともかく、「ずっと一緒にいたかった」。正確に言うと「いつまでも一緒にいたい」わけではなく「今の気持ちとして四六時中一緒に痛かった」のだった。

そして、それは相手も同じであることが確認できたので、一緒に暮らすことにした。

この時、節税など制度的な利得は考えていなかった。

 

一緒に暮らした上で、結婚による制度的利得に考えが及んだ時、「結婚しよう」となったのであった。

 

「一緒にいる幸福」と「結婚で得られる制度的利得」の両方を得るために、「一緒に暮らす結婚」を選択したということだ。

 

今後はどうか。

憲法解釈も変われば、法律も変わる。法律が変われば、制度的利得も変わる。

二人が「いつまでも」一緒にいて幸せであるという保証はない。

お互いに婚姻による利得がなく(むしろ損失が大きく)、一緒にいて幸福でない(むしろ不幸)ならば、離婚して別々に暮らすという合意に至ることになるだろう。

 

論理を紐解いてみたら、まあ、そりゃそうだ、という話でした。