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社畜vsノマドという構図を超えて

思い過ごしかもしれないが、Web論壇?上でタイトルのような構図がある/あったような気がする。

 

で、色々と読んだりして思ったのは、組織に属しているか否かというのはそんなに決定的な要素じゃない。

 

会社に媚びている社員が会社家畜なら、社会に媚びているノマドは社会家畜、ということでどちらも社畜だな、と思う。

 

社畜、ノマドという響きにはそれぞれ反対の陣営からの侮蔑を含んでいる気がしているのだけれど、どうしてそんなことになるかというと、自分の価値観と合わないというのが大きいだろう。

 

カレーに何を入れる入れないくらいの価値観の違いでヒートアップする人がいるくらいで、価値観の違いは何かの嫌悪感を引き起こし、人を熱くさせ、侮蔑の言葉をはかせる。

 

組織に属するか否かということに強烈な感情を抱く人はいないだろう。

 

何に嫌悪感を抱いているのか。

 

先に書いた通り、他者に媚びること、ではないか。

 

私だけかどうか、他人が媚びているのを見るのは辛い。

自分が他者に媚びていることの鏡像であり、同族嫌悪、自己嫌悪かも知れない。

 

どこか、これを認めたくない心理が働くだろう。

で、自分とは異なるポジションの組織に属している/いない者をターゲットに自分とは違う立場であることに安心しながら侮蔑をはく。

 

しかも、その中に嫉妬が混じっていやしないか。

会社に属さなければ会社に媚びなくて良いのに。

会社に属していれば社会に媚びなくて良いのに。

羨ましい。

 

媚びていることが悪いんじゃない、組織に属している/いないことが悪いんだ、とすり替わる。

 

自分は媚びているのではない、賢く利用しているのだ。

等と自分を騙してみても、媚びている事実に変わりはない。

 

釈然としない感じが残る。どうしても。

他者を貶めて自分を慰める。

 

どうだろう。違うかな。

 

さて、何故媚びる必要があるのかというと、大きいのは経済的インセンティブだろう。

社会的地位の確保のために媚びる人もいるのかもしれない。

 

媚びることで何かを得ても、何かを失ってしまう。

満たされない何かを満たそうとして、他者を貶める。

 

 

満たされない者同士が罵り合うという構図が見えてくる。

ああ、なんということだろうか。

 

くどいようだが組織に属しているか否かはどうでも良い。

媚びない生き方が実現できれば、それで良いんじゃないか。

 

媚びない生き方をしている人は、やむを得ず媚びて生きている人をバカにしたりはしないだろうと思う。

幸福な人生の実現への大きな要素ではないか。

 

媚びない生き方の実現についての議論が深まればと思う。

もうちょっと考えてみたい。