私のダウンタウン評2013

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関西人からしたらダウンタウンがディスられてるのが悲しい - 無意味の意味

ダウンタウン以前以後みたいなものはやっぱりあるような気がする - ←ズイショ→

 

TVっ子だ。

昔、ダウンタウンが好きだった時期がある。

劣化しているのかなあ、と思っていて、これは多くの人がそう感じているのではないかと思う。

私も悲しい。

 

例えば、すべらない話で松本が話すのを見るとチャンネルを変えたくなる。

痛くてみてられない。

一応、見てみる。やはり、つまらない。

TVの中では皆笑う。そうでしょうね。

でも、つまらないよね?

これが嫌なんだ。

 

で、考えてみたことがあって、思い出したので書いてみる。

 

笑いを理論的に読み解きたいと思うが、そんなに詳しくない。

基本理論は知っている。

「緊張と緩和」だ。

 

桂枝雀が上岡龍太郎と語る笑いの分類 - YouTube

 

噺の話 『らくごDE枝雀』 桂枝雀

 

乱暴にまとめると、笑いとは「フツー」と「ヘン」の間の絶妙な間の取り方で発生する。

 

で、フツーとは誰に取っての普通なのか。

受け手である。

舞台なら観客である。

TVなら?

 

ベテランの舞台芸人は客層を見て、間の取り方をかえるだろう。

何の間を変えるのか?

この観客に取ってのフツーとヘンが何かを見抜く。そしてその間を変える。

 

TVの場合、視聴者の客層を見れるのか?

ニッチなTV番組ならマーケティング的な意味で調査は出来るだろう。

 

ゴールデンタイムのTV番組で相手にするのは大衆であり、社会そのものだろう。

 

TV芸人については、以下、、、だと思う。違ったらごめん。

EXテレビ Osaka 上岡龍太郎 超過激テレビ論を語る - YouTube

 

で、さらにこの辺も踏まえる。

【A面】犬にかぶらせろ!: 1995年に見るJポップの転機

 

浜田というのは、ある意味でフツーの極地だと。

 

漫才はボケとツッコミで成り立っている。

ボケがヘンなことを言って、ツッコミがフツーの世界に戻す。

これが基本形の「合わせ」。

で、ダウンタウンは2人で「合わせ」の他に「へん」「ドンデン」など変幻自在にやる。アドリブで。

確かに実力はあるのでしょう。

 

しかし、繰り返しになるが、これはそのときの世相、空気感もろもろ合わせた総体としての社会にとってのフツー、ヘンが基準になる。

 

で、全盛期のダウンタウンはその時代の世相にマッチしていた。

マッチしているというのは、フツーがちゃんと普通で、変が確かにヘンなんだ。

だから、共鳴が起こった。

笑いの振幅が大きかった。

 

というのが真相なんじゃないかと思っている。

 

で、そのマッチングはたまたまだったんじゃないか。

実力を100とすると、「時代」ボーナスが80。

今は時代と乖離している。

で、90くらい。

半分くらいに劣化している、となる。

 

今、一番評価されている芸人は有吉だろう。

有吉は今の社会にマッチしている。

偶然じゃない、社会の空気を読んでいる。

確信犯だ。

これはすごいことだ。

舞台の空気を読むとかってレベルじゃない。社会全体の空気を読んでいる。

で、そこにアジャストしている。

Twitterで膨大なフォロワーを有しているのもその証左かもしれない。

TVでやるネタも、ある番組では徹底的な内輪ネタをやり、一方では大衆受けするネタをやる。

しかも、同時にスタッフ受けを狙っているフシも見られる。

空気読みに関しては化け物だと思う。

 

ネタも変幻自在で、上記のパターンを一人で使い分けている。ように見える。

 

で、ダウンタウンより決定的に上なのが「教養」だ。

教養があるから懐が深い。

 

上岡は芸人には本来教養が必要で、しかしTV芸人に教養は不要、と喝破したが、有吉は今の時代に、それを取り戻して消化して、昇華かもだけども、TVで応用している。

 

で、ダウンタウンは教養が無いから、ある年齢というかを過ぎると見てられなくなる面もあると思う。

 

上岡が論じたお笑いのあり方から一段進歩しているのが今のTV芸かもしれない。

 

結論としては、ダウンタウンは劣化したかもしれないが、それ以上に時代に合わなくなったのだ、というのと教養の無さが露呈しているのだろう、と思う。

 

付け加えると、有吉は現代に合っており、しかもそれは偶然ではなく、スキルで対応している。

 

というところじゃないですかね。ただ、なにぶん素人なので、、、

玄人の論を見てみたい。