音楽に支払われるべき対価

「音楽を売る」ということの先にあるもの - 日々の音色とことば:

愛を感じる。根っこから考えたら良いんじゃないかと思った。音楽の効用に対して対価を払っている、と考えて、そこからの話。

 

と思ったので、考えてみる。

 

音楽の効用から。

 

「音楽の陶酔」研究:脳内では「快楽物質」 « WIRED.jp

 

好きな音楽を聴いた時の「鳥肌がたつような感動」は、単なる主観的な体験ではない。脳の中で「快楽物質」ドーパミンの分泌が促進されていることがわかったのだ。

 

そういうことである。

 

快楽を得ている。ということ。

ドーパミンとお金を引き換えているのだ、と考えよう。

 

で、音楽は継続的に快楽を得られる。

聞くほど好きになるし、好きになればよりドーパミンが得られる。

 

音楽を購入して、障害に得られるドーパミンの総量を一定の割引率でむにゃむにゃすると良いのではないか。

 

音楽のうち、詩から得られるもの、曲から得られるもの、歌唱、演奏、映像、ライブ性、好きな人が歌っているから、、など色々な要素からドーパミンが得られる。

 

そうすると、それぞれに支払うべき対価が得られるのではないか。

客観的、定量的には難しそうではあるけども。

 

作詞、作曲には価値がないからタダ、という方がすっきりすると思ったけれど、詩や曲の力ってやっぱりあるな、と思ったので対価は支払われるべきと思った。