ホワイトカラーの成果を客観的に評価できないのが原因か
「生産性の概念の欠如」がたぶんもっとも深刻 - Chikirinの日記
CNN.co.jp : 休暇無制限の米企業増える - (1/2)
ほとんど有給余している日本で無制限導入しても今と変わらない。くじ引き強制休暇は、良さそう。
今日、上記をブクマした。
日本の企業を評して、工場一流、経営二流という言葉があって、工場では高い生産性を誇るものの、ホワイトカラーの生産性は低い、という指摘は、以前、宋文洲の本か何かで読んだ気がする。
実感として、同意する。
ホワイトカラーが生産性を向上させるインセンティブがないのが根っこにあるのだと思う。
工場における生産性は定量化しやすく、評価しやすいのに対して、ホワイトカラーの仕事は評価しにくいんじゃないか、と思う。
さて、成果主義においては業務時間、休暇日数などで労働者を縛ることに意味はない。
成果で測れば良いからだ。
休暇無制限というのが成立する。
一方、工場の労働者の場合、その成果はほぼ時間に比例する。
時間あたりにどれだけ組み立てられるか、は大体決まっている。
休暇無制限はあり得ない。
米国の場合、契約社会で成果の合意が明確で、それ以上は求められないし、しない。
だから、休暇無制限が可能である。
一方、日本の似非成果主義では、成果の合意が不明確で、一応決めたとしても、仕事早く終わったらこれやってよ、という感じで次々に降ってくる。
実質的に正社員、という制度があらかじめそういう約束だから、そうなる。
「いや、私、合意通りの成果を上げているんで早く帰ります、休みます」というのは勝手だけれども、出世できない。
結局、成果で見ていないからだ。
見ているのは能力ですらない。
「休まずやります!」という姿勢だ。
経営幹部自身がハードワークによってその地位を得てきているのだし、当然、そうなる。
これが、良いのか悪いのかは良く分からない。
ある意味で合理的な経営なのだろうと思う。
しかし、社会は常に効率化を目指すべきだ。
効率の悪い企業は、自由競争の中で効率の良い企業に破れ、淘汰されて社会全体が良くなって行けば良い。
今の似非成果主義でない制度の会社が出てきて自由に競争できる環境を作れば良い。
それを阻んでいるのは何だ?
法律なら、法律を変えるべきだ。
今の日本企業のあり方が最適なんだ、という可能性ももちろんある。
でも、やはり日本のホワイトカラーは生産性が低い気がする。
生産性向上に向けてインセンティブをコントロールする、ということになるんだろう。
難しい。
ということで、タイトルの通りとなる。
宋氏の本では、ホワイトカラーの業務プロセスを明確にして云々という話だった気がする。
それを誰がやるんだろうか。
一筋縄でいかん業務もあるし。
うーん。今のところノーアイデア。
考えてみる。