「誰が書いたか」と「何を書いたか」は同じくらい重要
ブログは誰でも発信できるメディアであって、であればこそ、誰が書いたかでなく何が書かれているか、が評価されるべき、という論説がある。
感情としては分かるし、そうあって欲しい面はある。
理想を語るのは自由だし、語るべきである。
しかし、現実としては、もう、2千年以上前から結論は出ている。
- logos(ロゴス、言論) - 理屈による説得
- pathos(パトス、感情)- 聞き手の感情への訴えかけによる説得
- ethos(エートス、人柄)- 話し手の人柄による説得
ブログの力(と言い切る)は、ロゴス、パトス、エートスで決まる。
「内容」と言うと、大抵はロゴスの側面だけを指すのだろう。
もちろん、大事。
人気のあるブログには「パトス」の要素が強い。
しかし、ロジックだけ淡々と書いてある人気ブログなんてない。つまらないから。
人は感情の動きとともに記憶が強く定着したりする。
また、直接的な快楽が得られることも大きい。
で、「誰が書いたか」というのはエートスの一つの側面だ。
- エウノイア - 聞き手に対する好意
エートスは話者にではなく、聞き手に属する。聞き手がその話者が高いエートスかそれとも低いエートスを持っているかを判断する。
紀元前の哲人が、
読み手が、そのブロガーに対する好意を持っているほど、より強い説得力を感じる
と言っている。
これは、もう、人間の本質的な部分で、2000年程度で変わるようなもんじゃない。
経験的にも明らかだし、エビデンスも山ほどあるだろう。
ということで、「誰が書いたか」と「何を書いたか」は同じくらい重要、という話になる。
そして、「いい人戦略」の有効性、という話に続ける。