「誰が書いたか」と「何を書いたか」は同じくらい重要

ブログは誰でも発信できるメディアであって、であればこそ、誰が書いたかでなく何が書かれているか、が評価されるべき、という論説がある。

 

感情としては分かるし、そうあって欲しい面はある。

 

理想を語るのは自由だし、語るべきである。

しかし、現実としては、もう、2千年以上前から結論は出ている。

 

弁論術 (アリストテレス) - Wikipedia

 

  • logos(ロゴス、言論) - 理屈による説得
  • pathos(パトス、感情)- 聞き手の感情への訴えかけによる説得
  • ethos(エートス、人柄)- 話し手の人柄による説得

 

ブログの力(と言い切る)は、ロゴス、パトス、エートスで決まる。

 

「内容」と言うと、大抵はロゴスの側面だけを指すのだろう。

もちろん、大事。

 

人気のあるブログには「パトス」の要素が強い。

しかし、ロジックだけ淡々と書いてある人気ブログなんてない。つまらないから。

人は感情の動きとともに記憶が強く定着したりする。

また、直接的な快楽が得られることも大きい。

 

で、「誰が書いたか」というのはエートスの一つの側面だ。

 

エートス - Wikipedia

 

エートスは話者にではなく、聞き手に属する。聞き手がその話者が高いエートスかそれとも低いエートスを持っているかを判断する。

 

紀元前の哲人が、

 

読み手が、そのブロガーに対する好意を持っているほど、より強い説得力を感じる

 

と言っている。

これは、もう、人間の本質的な部分で、2000年程度で変わるようなもんじゃない。

経験的にも明らかだし、エビデンスも山ほどあるだろう。

 

ということで、「誰が書いたか」と「何を書いたか」は同じくらい重要、という話になる。

 

そして、「いい人戦略」の有効性、という話に続ける。