山本太郎氏の直訴を巡る言説に関するもやもや
何か、もやもやしている。
"人生の貴重な時間的リソース" そもそもWebで記事書いたり読んだりしないことをお勧めしたい。
言っちゃうと、どうでも良い。
そもそもWebで受動的に記事を読んだり、書いたりしても役に立たない。
一種の娯楽として読み解き、書く。
すっきりするかもしれないので。
私の考えをまとめる前に以下の記事を読んだ。
山本太郎さんの天皇陛下への直訴状騒動(山本 一郎) - 個人 - Yahoo!ニュース
ほぼ同感なんだけど、解決策が提示できないか、、、残念。太郎氏はある種の民意の体現なんだろうから、もう、そういうもんだということで、天皇のあり方の方が本来、議論すべきなんだろう。
同感かどうかはどうでも良いが、少なくとも、山本一郎氏のような読み解き方がある。
私は、山本一郎氏を、そんなに好意的に見ていない。
熊谷氏、良い印象な気がしてたけど、これ見る限りでは非論理的な人。議論としてはコテンパンにやられてる。編集のせいかもしれないけど。論拠なく批判する人が多い程、山本氏支持が増えることになるんだろうな。
熊谷氏は、論理的で合理的な印象で、好意的に見ていた。
何となく、レベルだけど。
で、このまとめ見て、ちょっと驚いた。
悪意のあるまとめなのかな、と思ったくらい。どうもそうではないらしい。
で、一郎氏と熊谷氏の論述を比較しながら改めて考えてみる。
熊谷氏の方は、Twitterの断片的なコメントだけなのでハンデというかがあるかもしれない。
あくまで論理だけ追う。
面倒なので、両氏のコンセンサスを前提として列挙してみる。
・ 天皇の政治利用に当たるかどうかは、本件において主眼ではない
・ 儀礼や慣習、常識等に反するか否かも主眼ではない
・ 参院の処罰対象にはならない
ここまで、私も同意。
詳細は、別に書く。
で、熊谷氏の主張で合意できるのは、「民主主義の国で君主の権力で物事が動くものとする思考は憲法に反する」というところまで。
これは、論理的に導きだされる事実でしょう。
私は、一郎氏の、
会見の内容を見ると、何らかの害意や政治的な意図があっての行動というよりは、知恵の至らない人が、自分の手に負えない問題について思いつめた結果として天皇陛下に手紙を渡したのだというニュアンスまでは理解できます。
という見立てに同意します。
意図的なもの、というのはむしろ太郎氏への過大評価でしょう。
太郎氏自身が言っているように、単に無知故の行動と理解するのが自然。
民主主義なり憲法への挑戦、等という意図があろうはずがない。
太郎氏の行動が「憲法に反している」ということは立証できない。
どうしても許せん、という人は裁判でもやってみれば良いでしょう。でも、無理です。
少なくとも、太郎氏を罰する法律がない。
熊谷氏自身、法律違反ではないし、処罰するべきだとも言っていない、とコメントしている。
そうすると、憲法への挑戦をしているわけでも、法律違反でもないわけです。
なのに、太郎氏を批判する、というなら、それ以外の論理的根拠がいるでしょう。
でも、それはない。
論理的根拠がないのだから、単に感情論。
感情的に批判しているだけ。
あげくに、
ときた。
まあ、実は同感なんだけど、言っちゃったらダメじゃん。
そこは、論理的に、あくまで冷静に論理だけで議論しなきゃダメじゃん。
太郎氏の支持者って感情で動いている人が多い印象で、一郎氏の、
むしろ、この問題で社会的に騒ぎになることによって、山本太郎さんが改めて注目され、彼に対する批判や妨害がかえって彼の党派性を強化して、ある種の神格化が進んでしまうという問題を引き起こしかねないなあとも感じます。
騒ぎ方を一歩間違えると山本太郎さんは英雄になってしまいます
というコメントに同意する。
だから、難しい問題なんじゃん。
で、熊谷氏の感情論的な太郎氏批判が、まさにこれ。
熊谷氏は太郎氏の神格化に一役買ってしまっている。
熊谷氏は国益を損ねた、と言って良いと思う。「意図しないことであったにせよ、結果的に」。
さて、一方、太郎氏支持者が、
国会議員は国民の現状改善の必要があれば、あらゆる手段を使って実効的に動くのは当たり前。議会の他でも訴えるに足る場であれば動こうとする山本氏の行動は称賛出来ると考える。あなたも首長なら市民のためになる発言をしたらどうですか?
と、考えるとすれば、これは当たり前、と思う。
国会議員を選ぶっていうのはどういうことなの?
自分の理想を託すんでしょうが。
理想を実現できる人だと思って票を入れるんでしょうが。
言い方を変えると「最も自分の利得になる選択肢」として選んでいる。
もちろん、現行の法律には従うけど、その上で、あらゆる手段を使って理想を実現すベきでしょう。いや、してくれよ。
優れた政治家、実務家って、皆、そうじゃないの。
夢想家を選んでんじゃないんだから。
いや、結果的に夢想家選んでるかもしれないけど。
なのに、熊谷氏は筋違いの回答をしている。
議論を放棄している。
自分で放棄している、と宣言しているから、まあ、そうなのかもしれないけど。
議論するつもりがないのに絡んでるのって、何なの?
それこそスルーすれば良い。
熊谷氏の理想があるなら、また、市民に託された理想があるなら、それを実現するために淡々と論理的に正しい主張をすれば良い。
しかし、憲法云々の主張は、論理性が雑。
やる気が感じられない。
ということで非常に残念に思った。
この話は、感情論を排して論理的に、論点を明確にしてコンセンサスを作って行くのがベストなんだろうと思う。
一郎氏は、お手上げ。
熊谷氏は、放棄。
その他、私が見た限り(そんなに見てないけど)ほとんどの人は、批判にせよ擁護にせよ、感情論ないしは的外れの議論をしている。
建設的な議論でコンセンサスを作ってくれる人が現れると良いな、と思う。
思うが、それ以上に、私や私の周りへの影響はほとんどないし、どうでも良いと思っている。誰も責められない。
一郎氏は、ポジションは違うけど、さすが、と思った。
熊谷氏は、残念。もう一度ちゃんと論じてくれないかな。無理だろうな。
これは、困った話だなあ。
ところで、この問題(何が問題かって言う話は置いておいて)の再発防止の根本的解決策は「天皇制廃止」なんだろうな、と思う。
この議論は、これでまた、感情論も絡んで変な方向に行きそうではある。