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ブロガーと観客の市場における合理的な関係

 

皆、ひたすら合理的に行動しているだけなんだと思う。

 

自分は観客だと思っている人たち - まつたけのブログ

 

それでも、ブログには「観客」が必要なのだと思う。 - いつか電池がきれるまで

 

観客だから罵詈雑言をはく訳では必ずしもなくて、上記の2ブログの語り口の違いを見てもプレーヤーにも様々な人がいる事実が分かる。

 

中には本当に頭のネジがぶっ飛んでいるような人もいるだろうけど、皆、それなりの打算というか直感に従ってかもしれないが、何かしらの判断のもとに行動しているのだろう。

 

よくよく計算してみれば微妙なのかもしれないが、それなりにリスクとリターンを計算していることだろう。

 

身バレする確率、それで被る損害。

罵詈雑言をはくことですっきりする、得られる幸福。

 

ローリスクなら大きく張るし、ハイリスクなら小さく張る。

投資のポートフォリオと同じように合理的なんじゃないか。

 

合理的であるという点で、それが罵詈雑言であるか美辞麗句であるかに本質的な違いはない。(石破風)

 

以前読んだ「ヤバい経済学」の一節を思い出した。

 

ヤバい経済学 [増補改訂版]

ヤバい経済学 [増補改訂版]

 

 

それなりのオフィスビルで1ドルの「置きベーグル」屋をやったら、どの程度の回収率があるか、という話。

 

それなりのビジネスパーソンがたったの1ドルっぱかしをごまかすもんだろうか。

今調べたら良くても95%位だと。

つまり5%はちょろまかす。

場所や天気によっても変わるらしい。

 

無リスクで1ドルももうかるとして、その1ドルを拾わないやつがあるか?

1ドルをくすねる人間は合理的だ。

万一、バレたら1ドルなんてもんじゃないからやらないという人間もある意味で合理的だろう。両者の違いは、期待値の前提となる確率の読みの違いだけだ。

 

バレないとしても「良心」に従ってやらない人もいるだろう。どちらかというと、こちらの方が経済的には非合理的だ。しかし、彼の心の中では、それがバランスしている。という意味では合理的だ。

 

ネットの罵詈雑言についてもそうだろう。

罵詈雑言をはけばすっきりし、満足する。しかもバレない。となれば罵詈雑言をはくに決まっている。

罵詈雑言をはかない人もいるだろうし、そちらの方が圧倒的に多いだろう。ベーグルと同じように。

同様に美辞麗句を並べる人も出てくるだろう。

 

皆、自分の心の中での合理的な判断に従っているに過ぎない。

 

ベーグルには1ドル以上の価値があるから、少なくともそう判断した人が買うのだから、全員が1ドル払うべきだし、払うだろう、などと思うのはベーグル屋の側の論理でしかない。

 

ベーグルを買う、あるいは持って行く、人の目的は大抵、「食べる」ためだろう。

 

ネットを見る、ブログを見る人の目的は、それ以上に多様だろう。

ブロガーに与えられるのが美辞麗句か罵詈雑言か、はたして無言かは様々な期待値計算によって(例えそれがノータイムの直感によるものであっても)合理的に判断されたものであるはずだ。

 

こっちは苦労してブログ書いたんだから、というのはブロガー側の論理でしかない、ということなんだろうと思う。

 

ベーグル屋はどうしてるだろうか?

商売であるから、経済合理的に判断する。

つまり、回収率込みのリターンが投資に合わなければ、そこでは商売をしない。

あるいは、晴れの日には売るが雨の日は売らない、という行動もあり得る。

 

ブロガーはどうすべきだろうか。

やはり、自分の中で合理的な判断をするしかないんだろうと思う。

結論は、各人によって違うだろう。

 

例えば、雨の日にはブログを休む。というようなことがあっても良いのではないか。

 

炎上が嫌そうなブロガーは炎上しないように周到に書いているように見えるし、

炎上上等というブロガーは煽って書いているように見えたりする。

 

本当は炎上が嫌いでも、これは絶対に書くのだ、という決意の文章もあるだろうし、

本気の内容を炎上商法でなく極力煽らずに押さえて各ケースもあるだろう。

 

ネット論壇?は、売り手と買い手がそれぞれ合理的に判断する市場なんだろう。

その結果は、需給のマッチした結果だ、と捉えるのが良いのだろうと思う。

 

書いてて何の話だか忘れたけど、そんなことを思った。