「意見」のバランス感覚をどう養うか

以前、

 

「ちきりん批判」が粗雑ではないか?という話 - lestructure's blog

 

というのを書いた。

そして、本日、以下の記事を見た。

 

ちきりん女史の「自立」話はカネに釣られて旬な話題にぶら下がってるだけじゃないの?: やまもといちろうBLOG(ブログ)

過去記事のリンクつけてくれたら良かったのに。 http://kirik.tea-nifty.com/diary/2013/04/next-b657.html

 

結びの、

 

せっかく質の高い議論もできる人なのですから、もう少しそのあたり着弾点を見据えた話をしたほうがいいんじゃないでしょうか。

 

など、ちきりん氏の能力は認めた上で、誰かのためになる議論をして方が良いと言う結びなど、非常にバランスが良い記事と感じた。

 

私も、常々、ちきりん氏は相応の能力、経験は確かに在ると感じていて、しかし、発言が無責任だなあと感じていたので、指摘自体、納得できるものではあった。

 

やまもと氏は、氏なりのキャリア論がしっかりあるので、そこをもう少し触れてあげると、もしかしたらちきりん氏の話を鵜呑みにして往生するハメになる人を救えるんじゃないかな、と思った。

まあ、面倒だとは思うので、せめて、リンクくらいつければ良いのに、というコメントを書いた。

それがあったら、完璧だったのになあ。

 

キャリア論なんて、結局、個別のはなしになるので何が正解って言うのはないにせよ、しかし、各論客の(かなりポジションとった極論にせよ)意見を押さえておいて、その上で自分に照らしてみて考えてみれば、自分なりの正解に近づけるのではないかと思った。

 

また、そう言うときに、大事なのは、キャリア論で言えば、ここで出てくるような、ちきりん氏、堀江氏、やまもと氏、山崎氏、出口氏、安藤氏、柳井氏、森永氏、イケダ氏など、一通り押さえるべきと考える。

 

えー、だってXXはともかく、XXはXXじゃないかそんなやつの話聞いてもしょうがない。などと思いがちだろうが、そこをぐっと押さえてなるべく、議論の振り幅を大きくとるべきだと思う。

 

XXは嫌い、なればこそ、その論をしっかりと見ておくべきだろう。

 

感情的に、XXは嫌いだから、考え方もダメだろう、論述も見ない。という人が結構な数、見られる。

 

一方、やまもと氏は考え方が偏っているようで、意外にバランスが良い。(偏っているなあ、と思うときも多いが)

キャリア論なんかでも、しっかり各論客の意見を見て(まず、見るというのが大事)理解している。そして、常に是々非々である。

 

この辺、「やまもと嫌い」の人も見習うべきところじゃないかと思う。