「評価経済」「いい人戦略」について
最近、また岡田斗司夫氏の「評価経済」の話をちょくちょく見るようになったので、ゼロベースで考えてみる、
- 本質的には大昔と同じ
- 現代では情報通信コストがほぼゼロになった
- 評価が情報通信で最大限レバレッジされるようになった
という話かなと思う。
「いい人戦略」は有効
- ゲーム理論
- 遺伝子選択論
で、その有効性が確認できる。
「いい人戦略」の有効性 - lestructure's blog
いい人が生き残った、のではなくて悪い人を排除し、いい人(またはその遺伝子)を残すタイプの人が生き残った、ということだろう。
ここで、いい人は論理的に導きだされるいい人ではなくて、感情的に判定されたいい人であると言うこと。
結局の所、現代であっても感情的にいい人と判断されると社会的に得をする、ということになる。
いい人ネットワーク効果
さらに、いい人と判断され、好意を持たれた場合、この好意が伝搬する。
人は好意を持った人の言説に納得する。
「誰が書いたか」と「何を書いたか」は同じくらい重要 - lestructure's blog
好意を持たれれば、言説の説得力がまし、さらに得をして行く。
いわば、いい人ネットワーク効果であり指数関数的な性質を持つ。
これは大昔から同じであるが、大昔であればせいぜい村単位であったのが情報通信のレバレッジにより効果が大きくなっているというのが実態だろう。
個人の感情より論理が勝ってきている
ところで個別の評価自体の効果・恩恵はどうかというと、これは減少しているだろう。
感情よりも論理が勝ってきているからだ、これはまさに歴史的に科学・教育の発展や貨幣の導入等による客観的評価軸が存在することが大きい。
論理、客観的事実はそこにあるがままであり無くなる等ということはない、しかし、感情はレバレッジが効く。
為に、見方によっては感情が勝ってきているように見えることもあるだろう。
「嫌われる人」も食えるようになった
その一方で、という話になるけれど、では、悪い人、嫌われる人は生きにくくなったかというとそうとも限らないと思う。
昔は村で嫌われると村八分にあって生きていけなくなるということもあっただろう。
もちろん、今でも所謂ブラック企業のように悪評が昔以上にマイナスとなることはある。
ところが、例えばブロガーレベルの話だと炎上しているだけで勝手にPVが上がって、それだけで食えるという現象が起こる。
悪い感情もレバレッジが効くのでPVはやはり指数関数的に伸びる。
これも情報通信によるレバレッジでロングテール的な利得を得られるようになった結果だろうと思う。
そして個人ブロガーのレベルだと悪評による損失が無視できる。
まとめ
ということで
- 本質的には大昔と同じ
- 現代では情報通信コストがほぼゼロになった
- 評価が情報通信で最大限レバレッジされるようになった
という話になる。
岡田氏の結論に対して一部は同意するけど、一方で、
- 感情よりも論理の力が勝ってきている
- 悪い人も得しやすくなっている
とも思う。
じゃあ全員が得する社会なのか?というともちろんそんなことはなくて、
- 他者への批判で受ける悪意の反作用に耐えられない人
- 知的レベルなど能力の低さを露呈し、さらにレバレッジがかかってしまう人
なんかが損をする人ということじゃないかな、という気がする。
社会全体として見れば、情報通信の発達は社会活動の効率化はもちろん感情のレバレッジ装置という意味でも大きな利得(差し引きで)となった、と言えるだろう。
今後の社会
感情は大昔には種の発展のために多いに役に立ったが環境変化に遺伝的進化がついてこられないために感情装置はポンコツになっていると言える。
しかし、進化がついて行かないためにその本質は実質的に変化しないだろうし、情報通信やその他の装置によりレバレッジがかかることはあるだろう。
一方で、科学や論理、あるいは貨幣などの客観的評価軸は厳然たる事実であるのでその範囲で劣化せずに積み上がって行く。
厳密に言えば、科学的に正しいと思われていたことがある条件下に限られるものであったり近似でしかないことが分かったりすることはあるだろうし、貨幣が相対的のものであるためにそのあり方を変える(例えばビット化したりする)ことは有り得るだろうけども。
そして、その積み上がった事実と論理で複利的に伸びていくだろう。
ということで、
- 個別に見ると時間とともに論理は感情に勝っていく
- 感情にはレバレッジが効く
- 論理は複利的に伸びて行く
なので「感情が勝つか論理が勝つかはその時のレバレッジ装置次第」ということになろう。