ウェアラブルでなくユビキタスが正解、意思力を必要としない娯楽が生き残る
コンピューターを使う理由
それは簡単で、便利だからという論理的な理由と、快楽が得られるからという感情的なことによる。
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コンピューターにかけるコストとしての意思力
一方、コンピューターを使うにはコストがかかる。
当然、お金がかかかるのだけれど、実はそれ以上に意思力を使う、というのが非常に大きい。
コンピューターの世界に破壊的イノベーションが起きた理由
つまりWindows PCの大部分をスマホが取って代わった理由である。
それは、スマホの方が意思力を使わないから、ということになる。
色々な見方はできるが、この記事はそういう筋書きである。
大部分というのを言い換えると、プライベート(感情優先)では、と言える。
仕事(経済合理性、論理優先)ではそんなこと言ってらんないので気力を振り絞ってWindows PCを使う。
OSや企業が良い悪い、好き嫌いとかいうことではない。
世の中にMSしかなければ仕事でWindows PCをプライベートではWindows Phoneを使うし、AppleしかなければMacとiPhoneを使い分ける、だけのことである。
快楽と気力の投資対効果
快楽を得るためには気力を使わなければならない。
人が気力を使うのはそれに見合った快楽が得られるからである。
これが原理原則だ。
ある娯楽に対して消費する気力と得られる快楽は人によって違う。
娯楽に多様性がある所以である。
しかし明らかに少ない気力で大きな快楽を得られる娯楽と、逆に到底割に合わない娯楽というのは存在する。
据え置き機でゲームをしないのは気力を使うから
据え置きゲーム機は非常に気力を使う。
起動が遅いのである。
ファミコンでスーパーマリオをやる場合、電源を入れてスタートボタンを押してクリボーを踏むまでの時間が実に3秒以内に終わる。(適当)
スーファミになったときに起動が遅くなったなと感じたものであるが、あれでも今考えれば爆速である。
もっと言えば、TVのチャンネルを1または2チャンにひねれば切り替わっていた。
しかるに、今の据え置き機の起動時間の遅さはどうだろうか。
外部入力への切り替えも外部入力が複数系統あるものだから選択するという手間もある。
気力を使わないTVは今でもコンテンツメディアの王様
だってTVは電源ボタンを1回押せばすぐにコンテンツが視聴でき、ザッピングそのものも一種のインタラクティブな娯楽である。
だというのに、何故、その先を気力を振り絞ってやらなければならないというのか。
TVは、ココが面白い所ですよ、と文字を出したり、複数回流したりと強調して教えてくれる。
何も考えずに楽しんで良いんですよ、ということで気力、意思力がなくても楽しめる。
バラエティ番組を見るのは意思力の弱い愚か者、ではない
何もTVのバラエティを見るのは意思が弱い愚か者だ、ということでは全くない。
意思力、気力は仕事で使っているのだし、その上で家に帰ってまで気力を使う必要があるだろうか。
意思力は有限である。
強い意志力を使う娯楽ができる人はどういう人か
無尽蔵の意思力を持つ人なのだろうか、仕事で意思力を損耗せず温存して家に帰り着いた人だろうか。
まあ、両方なのだろう。比率は知らないが、いずれにせよ多数派ではないだろう。
おしゃれ、ファッションも意思力を消耗する娯楽である
朝起きて、せいぜい顔を水でジャブリと洗って、ジャージを着れば外に出られるのである。
仕事で必要ならスーツを着るが、これも実の所ジャージとさほど変わるものではない。
このレベルであればさほどの気力は消耗しない。
しかるに、おしゃれやファッションに気を使う人は文字通り気力を使うのである。
iPhoneを裸で使うのは気力を使わないおしゃれ
これは、よほど傷が付くのを気にするような人もない限り気力を使わない。
だって、みんな使っているのだから黙ってiPhoneを買って使っていれば良いのである。
それでいて、それをダサいという人はいない。
スマホは気力の要らない娯楽
スマホを手に取ってYahooを見る。あるいはスマートニュースを見る。
実に簡単で気力を使わない娯楽である。
娯楽の2強
TVでバラエティ番組を見るのとスマホでお手軽なアプリを扱うことは、少ない気力で大きな快楽を得られるという意味で2強である。
もちろん、人によってはそんなことない、と思うだろうが、大部分の人にとっては沿うだろう。
ウェアラブルは気力が必要
メガネもウォッチも邪魔である。できればつけたくない、というのが多くの人が思う所だろう。
Apple - Apple Watch - Health and Fitness - YouTube
Google Glasses Project - YouTube
もちろん、それを必要とするあるいは使用することで生産性が向上する業務もあるだろう。であるならば、気力を振り絞って身につけざるを得ない。
あくまで、仕事上の話だ。
ファッションとしてのウェアラブル
特に必要ではないが、ファッションとして身につける、という人はいるだろう。
逆に言うと、ウェアラブルコンピューターは、ファッションの域を出ない。
究極はユビキタス
最近はとんと聞かないユビキタスという言葉であるが、バズワード、いや、もはや死語だ、という気もするが、時代がなかなか追いつけないだけであって、理想であることには変わりがない。
改めて言うと「偏在する」つまり「どこにでもある」ということだ。
よりユビキタスな方が生き残る
Windows PCでブラウザやアプリを立ち上げるより、スマホを使う方がよりユビキタスである。
据え置きゲーム機を立ち上げるより、TVでバラエティ番組を見る方がよりユビキタスである。
偏在するとまでは言わないが、スマホは持ち歩けるし、TVは部屋に置いてあるものだからだ。
ユビキタスを目指したのに失敗した例
狙い、考え方としては間違ってないが気力を使い過ぎる設計であることがダメな所である。作った方もとうに気付いていることではあるが。
狙いは合っているのに実際には気力を使う、という矛盾?が賛否が分かれる所以である。
では、この先どうなるのか
具体的には分からない。
が、複数の選択肢があるならば長期的には、よりユビキタスな方、が正解である。
より本質的には「意思力を必要としない方」ということになる。
現時点では技術その他の制限で、高い、重い、質が悪い、使いにくい、など敬遠すべき理由があるとしても長期的には破壊的イノベーションは常に起こる。それが本質的に正解であるならば。
ビジネスにおいては、せいぜい短・中期的に経済合理性がある選択肢が正解となるだろう。
長期的にどうだろうと、そのときには引退しているはずの経営者にとってはどうでも良い話だ。
ビジネスにおいて意思力を必要としないことの価値はどうだろうか、合理性よりも楽な方を選ぶビジネスパーソンなんかいるわけないじゃない。ねえ。
ガイドライン
- 長期的に見て、より意思力を使わない娯楽が生き残る
どうしようかと迷ったら「よりユーザーにとって楽な方」を選択しておけば、それが正解となるだろう。
その上で、いかにより強い快楽が得られるか。
合理性なんて忘れてしまおう。