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アニメ 寄生獣 1話の感想など

原作は言うまでもなく、漫画誌に残る傑作。

傑作であるポイントは様々あるが、「日常と非日常」だろう。

 

新装版 寄生獣(1) (KCデラックス アフタヌーン)

新装版 寄生獣(1) (KCデラックス アフタヌーン)

 

 

アニメの特徴は「分かりやすい演出」だと思った。
以下その辺について。(ネタバレ?あり)

 

肉アニメーションで説明するミギー

ミギーがシンイチに語りかける際、その自由に変形できる特性を生かして、実際に説明する対象に変形しながら説明する。
これは、原作本でも見られたが、アニメーションであるため、非常に分かりやすい。

 

かわいすぎるミギー

本来、ミギーは、感情がなく冷静で、非常に高い知能を持っているし、微妙に人間的な造形が不気味の谷そのもので気持ち悪い。
普通に考えるとかわいくないんだけど、でも何故かどこかしら、かわいく感じてしまう。

 

で、アニメの声がどう聞いても幼い女の子なんだよね。
そして、しゃべり方は、極度にたどたどしい。
これは、ミギーの動きとも相まってすなおに可愛らしい印象を受ける。

 

例えば、ミギーは渋い男性がやっても成立するんだけど、それだと「かわいさ」までが遠い。それでも、いつかはかわいさに到達する。

いきなりかわいい声、というのは、噛んでればいつか甘くなるご飯に、最初から砂糖かけちゃえ的な感じだ。

 

幼さやたどたどしさ、抑揚のなさは1話だからで、そのうち大人っぽくスムーズになるのかもしれない。

 

ヘタレすぎるシンイチ

メガネなんだよね。ヘタレの記号としての。
で、自称が「僕」。

 

覚醒後にメガネを外して「俺」と自称するんだろう。
原作よりも覚醒前後を大きく振っている。

 

1話の中でも、クモが苦手だったのに平気になるという変化を見せる。
原作だとゴキブリの件なんだけど、あれは確かに不自然なんだよね。
アニメ版は、不自然な描写を自然にする、ということをやっている。

 

原作読者はシンイチの微妙な変化を感じ取った。
アニメ版視聴者に対しては、メガネ等の小道具を使わないと伝わらないだろうと判断したということ。
微妙な変化を表現する技量がない、というより受け手のレベルに合わせた、と見るべきだろう。

 

キチガイ丸出しの浦上

原作では、裏に潜む狂気が逆に恐ろしさを感じさせる浦上。
アニメの浦上はキチガイ丸出しである。
これもアニメ視聴者層が「裏に潜む狂気」を受け取れないという判断か。
あるいは、浦上は人間扱いしないで見てね、ということかもしれない。

 

自然な描写

原作の1話とかって、落ち着いてみると演出というかシンイチの右手の非人間性?が過剰で、それバレるよねえ、という感じがする。
受けるかどうかも分からない状態の新連載だからだし、新連載であるからこそ気にならない。

 

アニメ版の1話では、不自然な右手の動きを他人に見られることはなく、ミギーの存在が間違ってもバレないようになっている。
原作にない、ムラノのおっぱいわしづかみとか行動としては異常ではあるけど動作としては異常ではない。

あとムラノが「塚原卜伝」を言わない。

まあ、今時の女の子がそんなこと言わんわな。

チョークなげの改変とかも同じ。チョークなげそのものがポカーンかもしれないが。

 

女の子達の人物像の再構成

おっぱいわしづかみにビンタで返すというのは原作のムラノならしない。

原作の「女の子達」と深夜アニメ視聴者層が期待する「女の子達」が違うんでしょうねえ。
そこで、それに合わせて人物像を再構成した、という理解をした。

 

さて、あの、おっぱいわしづかみ演出はアニメ視聴者の心をわしづかみのしたのだろうか。(ドヤ顔)

 

全体的に

寄生獣のポイントは「日常と非日常」で、寄生生物の存在をのぞけば、それ以外は普通の世界である。


その意味で、原作から不自然な所を除いて、自然な描写に変えている所の意図は理解できる。
よく作ってあるな、と感心した。

 

ところが、やはり記号的な「車にひかれそうな子どもを助ける」シーン。
ミギーが車を止めるんだけど、物理的に有り得ない。
これは気にならない人はならないかもしれないけど。

 

せっかくそれをやるなら、車を止めるのはやり過ぎだろうし、ミギーにその動機がない。
それと、父親が息子のおでこを指ツンする描写も不自然じゃない?
もしかして、今どきの高校生くらいの父子って、それが普通なの?だったらごめん。

 

ミギーの声なんだけど、成立はしていると思う。
でも、幼く、たどたどしいのも1話だからとしても抑揚がなさ過ぎない?
感情がないことを表現しているのかもしれないが、抑揚と感情は必ずしも一致しない。不自然で過剰な演出と思う。

 

全体的に、不自然な描写を自然にするというのは良いし、あるいは不自然でも分かりやすさを重視するというなら分かるが、もっと徹底した方が良かったのかなという気はした。

 

スマホなんて原作にはない要素なので自然にも不自然にもなり得るんだけど、どう使うんでしょうね。

 

2話以降を見たいか

うーん。原作の世界観を越えられるわけはないから、そういう意味では見てもしょうがないかな。

見る理由があるとすれば、ミギーの声がかわいいのと、わしづかみ的なシーンへの興味だけかなあ。

あれ、そういう意味ではアニメの演出は大成功なのかもしれない。

 

映画版について

関係ないけど。

いくらなんでも、阿部サダヲはないよねえ。
実際に見て、いやサダヲありだぞ!となったら世紀の名優だろうけど。

 

アニメの視聴者層に合わせた演出から映画版を予想すると、

  • お、そこで原作にない言わなくても分かる人には分かるはずのことをセリフで言わせちゃうんだ
  • あ、ここが泣き所ですよ、ってことでスローにしたりそういう音楽流したりするんだ

的な演出があるんでしょうね。きっと。