合理性が持ち込めない歪んだ市場

最近の議論の中でも非常に面白いな、と思った。

 

「ネットダフ屋」チケット高騰で問題視 “規制”か“公認”か (産経新聞) - Yahoo!ニュース

経済合理性が持ち込めない歪んだ市場。市場が歪んでいる限り裁定機会がなくなることはない。

 

読めば分かる通り、山崎氏の方が論理的であり、原理的には正しい。

一方の紀藤氏は何故議論をすり替えている。何故、そんなことをするのか理解が出来ない。

 

議論になっておらず、その意味では面白みはない。

 

しかし、この記事に対するネットの反応を見ると、紀藤氏支持が多い。

不思議に思ったが、各ステークホルダーの思惑が、変なところで均衡しているのだろうと想像する。

これが、非常に興味深い、と思った。

 

ともかく転売で儲けるやつが許せない!というのが一つの大きな感情として見える。

全ての非合理に目をつぶっても、ということらしい。

転売というのは正に裁定取引そのものであり、裁定機会が存在するのは価値と価格にギャップがある非常に歪んだ市場であるということだ。

 

ライブチケットは有限であるから、供給が限られる。

それに対して十分大きな需要が有れば、それなりの価格を支払っても良い、という人が出てくるのは当然である。

そして、よりお金を払った人が見れる、というのが確かにフェアだろうと思う。

 

誰が優先してライブに参加できるべきか、というのは色々な考え方が有るだろう。

例えば、より熱心なファンとそれほど興味がない人とであれば、より熱心なファンが見れた方が良さそうだ。

しかし、どちらがより熱心なファンか?というのをどう測るのか?

様々な価値感があるのは当然で、それを共通の指標に直したものがお金だ。

 

どうしても見たいから、欲しいものも我慢してがんばってお金を貯めたんです。

という人と、

好きなことに好きなだけお金を使った。その上でライブも安く見たい。

という人、

価値観は様々だとしても、他の条件が同じなら、前者の人が見れるようなシステムが良い。

 

お金持ちがとにかくお金を払って見たい、というなら取れるだけ取ったら良い。

そのお金で災害被災者に無料ライブを開催する、ということがあっても良い。

ライブに来られない地方の人にも届けられるように録画データを無料配布する原資にあてる、というのも良いだろう。

それで皆、ハッピーじゃないか。

 

と、私は思ったりするのだけど、どうもそうはならないらしい。

 

例えばファンクラブ会員を輪番で招待する、というようなことがあっても良い気がする。

しかし、興行側がそれをやらないのなら、望んでないのだろう。

 

今のような歪んだ形が続くのだろう。

しかし、反社会勢力によるダフ屋は許せない、となると「規制」で対処するのだろう。

 

いくら規制を強化しようと、裁定機会がなくならない限り、だれかがそれをやる。

リスクが大きくなればなるほど、反社会勢力が残りそうに思う。

 

根本的な解決は出来そうだけど、誰もそれをやらずにそのまま裁定機会が存在し続ける歪んだ市場、というのは他にも有るんだろうな、と思う。

 

既得権者が、そのような歪みを維持しようとするケースは、それはそれで合理性で理解できる。

 

反社会勢力を利するのは良くない、という共通認識があっても、不思議なバランスで結局は利する方向に行ってしまい、結局だれもハッピーにならないなんてことが有るんだなあ、ということで非常に興味深いケースだった。

 

多分、各プレーヤーが個別最適を企図した結果、といったところで、ゲーム理論なんかで説明が可能なんだろうな。

 

ブコメは、ほとんどアレな感じだったけど、その中でIvan_Ivanobitch氏のコメントが鋭かった。

 

コストを行政に投げるな

 

まさにそういう構造で、全体としてみると非効率なんだけど、コストを外部に投げれてしまえば、個別最適ではある。合理的だ。

 

これは、なんとか解決しよう、全体最適、社会全体を良くしようと思ったとして、正論を言ったとしても「この評論家、何バカなこと言ってんの」とか言われてしまう始末だから、そんなこと誰もやる訳がない。

 

在るべき姿を実現するシステムを作ると良いんじゃない?という説もあるが、どうかな?

ステークホルダー誰も望んでないようだから、徒労に終わるんじゃないかな。