結婚に代わる未来の制度
まとめ
未来では結婚制度は発展的に解消され、異性/同性、近親者/非近親者、1対1に限定しない多数の成人による連帯契約制度に一本化される。
- 法律とは社会的に合意形成された感情的総意を明文化し権限を持たせたものである
- 結婚と法人化は似ている
- 人間とは情報の入力に対して個々にプログラムされた処理の出力によって動作するタンパク質の塊である
- 異常とは少数派のことである
- 多数派であることは結果に過ぎない
モデル化
人間だ、感情だ、倫理だ、と考えると難しいように感じてしまう。
単純なモデルで考えてみた方が理科しやすいだろう。
入力
次のような入力を考える。
- 異性/同性
- 近親者/非近親者
ここでは対象を成人に限定する。
出力
次のような感情を出力とする。
- 愛らしい/愛らしくない
- 性交したい/性交したくない
- 子をなしたい/子をなしたくない
処理
それぞれの入力に対してどのような出力を行うか、ということ。
例えば、
- 異性の非近親者に対して、愛らしい/性交したい/子をなしたくない、と感じる人
- 同性の近親者に対して、愛らしくない/性交したくない/子をなしたい、と感じる人
などが論理的に有り得るだろう。
多数派=正常、少数派=異常
人間として遺伝を繰り返し何世代も経た今、
- 異性の非近親者に対して、愛らしい/性交したい/子をなしたい、と感じ
- 同性の近親者に対して、性交したくない/子をなしたくない、と感じる人
このような処理パターン(思考、感情)を持つ個体が多くの遺伝子を残してきたであろうことは容易に想像できる。
このパターンが多数派であるから「正常」となる。
正常なのが人間として本来あるべき姿、なのではない。
このタンパク質の塊の集団は長い時間かけてそのような処理パターンが多数派になった、というだけである。
社会の総意としての法律
少数派は異常者だ法律で禁止しろ、という社会もあっただろうが、現代の先進国ではそうは考えない。
どちらの思考パターンも有り得るのだから権利を保障しよう、となる。
社会の総意が変化してきた結果だろう。
理性、論理性が感情に勝ったのだ、ということかもしれない。
今の、そしてこれからの社会は、例えば障がい者も含めて、単に少数派であるからといって排除するのではなく互助的な社会を望むだろう。
結婚制度は感情に支えられている
ところで個々のパターンに結果的に同様の傾向を持つ個体が増えるということを除いて合理的な優劣、善悪はない。
近親者間で性交し、子をなすことに対して批判する合理的な論拠はないし、同様に、
同性間で愛しあい、性交することに対して批判する合理的な論拠はない。
さらに、一夫一婦制にも合理的な論拠はない。それどころか個体数の増加効率は低いはずだ。
異性の非近親同士の一対一の契約を前提とした結婚制度は多数派の感情に基づいて制度化されたものに過ぎない、ということが言える。
結婚制度から感情を排して考えてみる
どうなるか。
- 個々人が契約により得られる合理的な利得
- 社会全体が契約を認めることにより得られる利得
ということになるだろう。
社会は、社会全体の損失となる契約を認めないだろうし、個々人は利得のない契約をしたりはしない。
旧来の感情的な価値観にささえられている結婚制度から感情を抜いたとき、そこに残るのは個別および全体最適のための仕組みである。
結婚に変わる未来の制度
これからの社会が感情に打ち勝って互助的な社会を形成していくとしたら、恐らくそうなるだろうけれど、結婚制度は発展的に解消する。
そして、「性別を制限せず1対1に限定しない多数の成人による民事連帯契約的なものに一本化」されるだろう。
最終的には、この連帯契約は無限に数を増やしていき「人類皆兄弟」ということになるだろう。
その先はこんな世界かもしれない。
社会全体での恋愛・結婚・出産・子育ての最適な形について - lestructure's blog
あなたはどう思いますか
あくまで感情を排して合理的に考えれば、ということで、社会は緩やかに感情を克服していくとしても急にそうはならないだろうからその時点での社会全体の感情的総意が法律となるのだろう、と想像する。
この様に考えると、全ての現象が理解できるし、未来の姿が想像できるのではないだろうか。
この論考の元となったトピック等