子育ての幸福は幻想だが幻想で良いじゃないかという話
子育て論について。
といっても、わたし自身、論じるほど正しい親ではないよな、とも思いつつ、いくらかでも役に立てば。
子を持つことに否定的な人がいる。
もちろんケースバイケースだろうけど、合理的な判断なのだろうと思う。
幸福の計算式という本を読んだ。
幸福の計算式 結婚初年度の「幸福」の値段は2500万円! ?
- 作者: ニック・ポータヴィー,阿部直子
- 出版社/メーカー: 阪急コミュニケーションズ
- 発売日: 2012/02/01
- メディア: 単行本
- 購入: 1人 クリック: 48回
- この商品を含むブログを見る
子どもが生まれると、母親、父親に関わらず幸福度はマイナスになるのだという、それもずっと、子どもが成人してさえもそれは引きずる。
それと、子育ては辛いけど楽しいという話を聞いたりする。
つらいのは誰しもが同意するだろう。
楽しいか、というと、どうだろか。子育てそのものは特に楽しくはないのではないか。
もちろん、仕事と同じで、楽しくないけど楽しむ術というのはあるだろうけど、本来楽しいものではない。
と、感じてしまう私がダメ人間なのかもしれないが。
理不尽なことも多い、と思う。
それでも、それに耐えられるのは、我が子が愛おしかったり、子育ての中で起きる、子どもから得られるふとした幸福の瞬間を過大評価して、貯金して、福利で運用して、それで差し引きでプラスと信じて、そうやってやれるものなのではないだろうか。
もちろん、生まれちゃったらしょうがない、という後は意思に関わらず作業に追われるだけ、というようなこともあるのかもしれない。
脱線すると、耐えられなくなる人もいると思う。当然。
全ての生物が子育てを完遂する訳ではない。
そういうもんだ、という前提での社会制度設計があるべきだろう。
親はこうあるべき、というようなそれこそ幻想ではなく。
話を戻すと、何と言うか、本能的なもんだよね。
何だ、やはり非合理的じゃないか、ということになってしまいそうだ。
うん。個別戦略としては、子どもを作らないのが合理的かもしれない。
種全体として、そうだと滅びてしまう。もちろん、滅びてしまえば良いとも思う。
落としどころとして合理性で合意できれば、皆すっきりするのだけれど、多分、そういう日は永遠に来ない。
こっちサイドの人間としては、私の大好きな「寄生獣」から、
"「童貞少年」と「セックスしてみて、結果、妊娠している成人女性」の会話"
の一節を引用してみたい。
なぜ子どもを産むんだ…
おまえらだって子どもなんか生まなくても生きられるんじゃないのか!?
たぶん可能だろうなハエは…
教わりもしないのに飛び方を知っている
クモは教わりもしないのに巣のはり方を知っている
……なぜだ?
わたしが思うに…
ハエもクモもただ「命令」に従っているだけなのだ
地球上の生物はすべてが何かしらの「命令」を
受けているのだと思う…
わたしが第二次性徴期を迎えたとき
1つの「命令」がきたぞ…
「生めよ、増えよ、地に満ちよ」だ!!
え?そんな命令こなかった?じゃあ、本来、来るべきだった命令は多分その右手君に来ているのだろうな。
いつか右手君との別れが来るかもしれない。
これが…死か…
疲れるから自分で持ちな
何の話だっけ。
うーん。ブログもうやめよっかな。
それにしても寄生獣の話は含蓄がある。
いやー、実写版が楽しみだなー。