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子どもを自己の所有物であるとする意識とコントロールについて

こちらの記事。

 

社会的地位を意識して過ちを認められない人がいる - 斗比主閲子の姑日記

 

最後の記述についてちょっと引っかかった。

 

ちなみに、本題と関係しませんが、topisyuは、自分の子供の名前含めて個人を特定できる形で、その子供の写真等をインターネットに公開している人の育児発言はまず疑ってかかるようにしています。以前も同じようなことを書きましたが、理由は、その人が、子供を自己の所有物としてコントロールする対象と考えている可能性があるからです。topisyuとは育児のスタンスが違うと考えます。

 

私としては、どうして疑ってかかる必要があるのか、正直な所、分からなかった。

 

私の認識としては、自分の子どもと言えど一個の人格であって確かに自己の所有物ではないし、子どもを過度にコントロールしようとすることは実利的に考えて逆効果だ、と思う。

 

一方で、意識の問題として、その子どもを自己の所有物だとする意識は、その子どもを育てるモチベーションになるのではないか、と考える。

 

もちろん、所有物であると考えて、その子の人権を侵害するような行為はNGだけど、それは所有物とする意識の有無に関わらずNGだ。

 

その意識なしに育てるのだとすると、それ以外の経済的、社会的、道徳的インセンティブによらなければならないだろう。

それは正しい子育てを行うインセンティブとして十分だろうか。

 

言い方を変えると、自分が所有している子どもと所有していない子ども(よその子)とどちらを育てるケースで虐待が多いか、という話でもある。

 

私は、自己の所有物であるが故に正しい子育てを行う、という方が自然だろうと思う。

 

また、子どものコントロールであるが、道徳的?な判断を抜いても、過度にコントロールしようとするより、少し長い目で考えて子ども自身が納得するようにやる方が学習効果が高い、とは思う。(エビデンスもある)

 

しかし、現代社会の日常生活において、実際問題として全てを長い目で見るということは出来ない。

車道に飛び出すな、という話を幼い子が納得してくれるまで待ってられない。

 

もちろん、こちらだって幼い子どもを連れて好き好んで交通量の多い道を行きたい訳はない。

それでも、その道を行かねばならないときに、正直なところ、子どもをコントロールせざるを得ない。

言葉を尽くして説明した上で、子どもの手を引いて、車道に近づきそうになれば、その点を引っ張るし、それでも聞かなければ頬をひっぱたくかもしれない。

 

自己の所有物であるという意識とコントロールは、子どもを正しく健康に育て上げるために、特に幼いころは、有効に働くモチベーションなり手段だろう、というのが私の認識だ。

 

正直なところ、高2くらいの子が、「トランペットで食って行くつもりだ」などと言い出したら、それがよそのお子さんなら「ああ、そうですか、結構なことですね」と思うが、「自分の子」ならそうはならない。それはやはり自分の子どもだから、という話になる。

もちろん、どちらであっても態度に変化がないのが理想なのだろう、とも思う。思うが、、

 

自己の所有物であるという意識とコントロールがNGだ、ということなのであれば、先日書いたような

 

社会全体での恋愛・結婚・出産・子育ての最適な形について - lestructure's blog

 

社会でないと子どもを正しく育てられないんじゃないか、と私は思う。